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6月, 2017の投稿を表示しています

紫陽花

明日の日を 思ひ煩ふ こともなく 紫陽花たわわに 華やぎてをり   (あすのひを おもひわずらふ こともなく あじさいたわわに はなやぎてをり)   何があれ 豊かに咲ける 紫陽花は 雨滴らせ 命華やぐ  (なにがあれ ゆたかにさける あじさいは あめしたたらせ いのちはなやぐ)   人もまた 紫陽花のごと 生きよかし 命そのまま 美しくあり (ひともまた あじさいのごと いきよかし いのちそのまま うつくしくあり)     雨の季節に圧倒的な存在感を見せる紫陽花・・・ 年に一回のこの花との出会いも大切にしたい一つです  

死生観

捨ておけば 十年めどの 乳癌と 告げられたてる 終活プラン   (すておけば じゅうねんめどの にゅうがんと つげられたてる しゅうかつプラン)   悪性の しこり告げられ 年金の 繰り上げ支給 申請に行く   (あくせいの しこりつげられ ねんきんの くりあげしきゅう しんせいにゆく)   若き医師に 過不足なしに 告げたくも 難しきかな 吾が死生観   (わかきいしに かふそくなしに つげたくも むずかしきかな わがしせいかん)       胸のしこりに気付いた時は母の介護と抜けられない仕事がある時でした。 非浸潤性とのことで進行は遅いだろうが全摘出をとすすめられました。 ただ60歳を過ぎていましたし、あと数年生きられるのならと放置しました。 お医者様には申し訳ないことでした。

かりそめの世

吾が恋は 一期一会に 尽くさむと 今更ながら 心に刻む (わがこひは いちごいちえに つくさむと いまさらながら こころにきざむ)   逢ふことの やがて叶はぬ 時来べし 肌に刻める 君の想ひ出 (あふことの やがてかなはぬ ときくべし はだにきざめる きみのおもひで)   老いと言ひ 病と言ふも かりそめの この世を渡る 標なるかな (おいといひ やまひといふも かりそめの このよをわたる しるべなるかな)       歳を取ってからの出会いですので遠い将来などは考えるべくもなく 逢っているその時を大切にしてきましたが 癌ステージ4と言われると、本当に一瞬一瞬が宝物になります

逢瀬

病める身を 投げ出す如く 逢ひにゆく 君の笑顔に 抱かれにゆく (やめるみを なげだすごとく あひにゆく きみのえがほに いだかれにゆく)   今一度 あの夜の夢を 見まく欲し 健やかなるを むさぼりあひし (いまいちど あのよのゆめを みまくほし すこやかなるを むさぼりあひし)   在りし世の 想ひ出にせん この一夜 夢幻の 一夜なりとも (ありしよの おもひでにせん このいちや ゆめまぼろしの いちやなりとも)       実は 5 年前に乳癌を言われまして、 若い人ではないので、それも良いかと放っておきましたら 3 年前に立てなくなり、骨転移でした。   立てないまま生き続けるのは、私も嫌ですし、家族も大変なので 放射線照射と点滴で何とか骨を補強しながら日常生活を送っています。   幸い、薬が効きやすいタイプだったらしく癌もおとなしくしてくれているので たまには好きな方との逢瀬も期待しています。

青春18切符

あてどなく 夕日求めて 行かんかな 青春といふ チケット持ちて (あてどなく ゆうひもとめて いかんかな せいしゅんといふ チケットもちて)   不器用な 吾にはとても 折り合へず 人には人の 生き方あるに (ぶきような われにはとても おりあへず ひとにはひとの いきかたあるに)   手のひらに 残りの命 量りをり 夢買ふほどの 重さはありや (てのひらに のこりのいのち はかりをり ゆめかふほどの おもさはありや)       なにか生き方が不器用というか、自分のことがよくわかっていないというか・・・ いつも自分の居場所は他にあるような気持ちで生きてきましたね  

見るべきものは見つ

過ぎ去りし はかなき縁 嘆くまじ 一期一会の 想ひ尽くしぬ (すぎさりし はかなきえにし なげくまじ いちごいちえの おもひつくしぬ)   還暦も とうに過ぎぬる 今もなほ 心さすらふ 吾は何者 (かんれきも とうにすぎぬる いまもなほ こころさすらふ われはなにもの)   生きいきて 何に命を 燃やしけむ 見るべきものは 見つと思へど (いきいきて なににいのちを もやしけむ みるべきものは みつとおもへど)       遅がけから短歌を作り始めました。 誰にも明かせない心の鬱屈を、短歌にすることで気持ちのバランスをとっていたように思います。   「翠の溜め息」の名前で少し発表したこともありますが、作歌生活も20年ほどになりますので こちらのブログでまとめていきたいと思います。